本連載では、ビジネスで活用できそうな経営学理論や重要なキーワードをご紹介しております。
今回は経済学の分野から「情報の非対称性」というキーワードについて解説いたします。
情報の非対称性とは、取引の当事者間で大きな情報格差がある状態のことを意味します。
例えば、売手と買手が存在する取引で、売手側はその商品の欠陥や弱点をよく知っているのに、買手はそれを知らないという状況などが発生します。
このような状態を「情報の非対称性がある状態」といいます。
この情報の非対称性は、大きく2つの種類に分けて考えられています。
一つが、取引前の情報の非対称性です。
もう一つが、取引後の情報の非対称性です。
経済学の分野では、これら2種類を区別していて、それぞれで研究が進んでいます。
ビジネスマンにとって、情報の非対称性の論点は非常に重要な知識で、どういう取引に情報の非対称性が生まれやすいのかということを知っておくと、取引で注意しないといけない点もわかりますから何かと有益だろうと思います。
そこで今回は、いくつかの事例を交えて上記の2種類の情報の非対称性を解説していきます。
取引前に発生する情報の非対称性について、代表的な事例を3つご紹介します。
情報の非対称性について最も有名な論文は、ジョージ・A・アカロフ教授(カリフォルニア大学バークレー校)が発表した“The Market for "Lemons": Quality Uncertainty and the Market Mechanism”(1970年)という論文だろうと思います。
この論文は、中古車取引における情報の非対称性に関する論文です。
中古車の取引では、売手である中古車販売業者の方が車のプロフェッショナルです。
自動車整備士資格まで持っている人も多いですから、車の中身を自分で分析することができます。
そのため、中古車販売業者は、その車が事故車なのかどうか、どのような人が乗っていたのか、どこに故障しやすいポイントがあるかなどの情報を把握しています。
一方で、買手である消費者は、通常は車に詳しくないです。
ほとんどの人は、全く同じ外観を有する2つの中古車を出されても、どっちがより優れた中古車なのかを判断できないでしょう。
したがって、中古車市場では、取引前の時点で、売手と買手に情報の非対称性が存在しています。
このような取引形態は非常に多いので、自分が情報弱者側にいる場合は、細心の注意を払って購入したほうが良いでしょう。
次に、不動産取引でも、取引前の時点で情報の非対称性が存在しています。
まずは売主・買主が直接的に取引するパターンを考えてみましょう。
直接取引の場合、家を売ろうとしている売主は、家に関する情報をほぼすべて持っています。
過去にどのような修繕を行ったのか、雨漏りやシロアリの被害はあるのか、地震の影響はどうか、水道管やガス管の設備はどの程度検査しているのかなどの情報です。
一方で、買主はというと、ほとんど情報を持っていません。
登記簿謄本や近所での聞き取り調査等で調べたところで、得られる情報は限られています。
その上、売主が買主に与える情報の真実性については誰も担保してくれませんので、非常に大きな情報の非対称性が生まれてしまいます。
そのため、契約書等で瑕疵担保条項などを設けることでリスクヘッジを図ります。
しかし、中古物件に関しては瑕疵担保条項をつけない、または極めて短期間しか保証しないというのが通常です。
したがって、買手が圧倒的に不利な状況で売買が進んでいきます。
なお、直接取引を行うケースは、不動産取引ではレアケースです。
通常は、不動産仲介業者が間に入ります。
仲介業者が入る3者間取引では、直接取引よりも複雑な情報の非対称性が生まれます。
まず、直接取引の場合と同様に、最も多くの情報を保有している売主は、買主に対して、自己に不利になる情報を伝えないことが多いです。
売主としては少しでも高く売りたいわけですから、わざわざ自分に不利になるような情報を開示しようとはしません。
そして、仲介者である不動産業者も、取引成立後に手数料をもらうビジネスですから、わざわざ買主に対して商談が破綻する可能性がある情報を伝えようとはしません。
そのため、買主はここでも圧倒的に不利な立場に置かれます。
不動産取引については、一応法律である程度は守られていますが、何かあったときに法律に基づいて強制執行するのは相当に大変なので、多少の告知義務違反なら泣き寝入りする人がほとんどでしょう。
このように、不動産取引は、取引前の時点で買手と売手の間に情報の非対称性が存在し、買手側が圧倒的に不利な状態で取引が進んでいくことが多いです。
雇用契約は、会社と従業員との間で締結されます。
まず、会社側の保有する情報について考えてみましょう。
会社側は、自社の情報をたくさん持っています。
会社の財務状況、売上推移、新商品開発に関する情報、部署にパワハラ上司がいる、福利厚生が殆どない、給与が全然上がらない、同僚に変な人がいっぱいいる、サービス残業が毎月40時間くらいあるなど、従業員にとって重要な情報をたくさん保有しています。
それらの情報を会社側が正直に話すでしょうか。
私の知っている限りではほとんどありません。
会社にとって有利な情報については積極的に開示すると思いますが、不利となり得る情報については、聞かれない限り言わないということが多いと思います。
そのため、会社と従業員間には、取引前の時点で、会社側の情報について、情報の非対称性が発生しています。
次に、従業員側の保有する情報について考えてみます。
従業員は、自分自身の情報をたくさん持っています。
学歴、経歴、生い立ちや持病、前職で問題を起こしたことがあるかどうか、能力があるかどうかなどの情報を保有しています。
これらの情報のうち、自己に不利になる情報を会社側に積極的に伝えるでしょうか。
普通は伝えないと思います。
つまり、従業員側の情報については、従業員の方が情報強者といえます。
以上より、会社と従業員間には、取引前の時点で、従業員側の情報についても情報の非対称性が存在しています。
このように、雇用契約という特殊な取引関係においては、両者それぞれで情報の非対称性が発生しているのです。
情報の非対称性をなくすようにお互いが正直に話すのが一番だと思っていますが、それが実現することは今後もないでしょう。
次に、取引後の情報の非対称性について、代表的な事例を2つご紹介いたします。
取引後の情報非対称性の論点で最も有名な事例は、保険契約です。
日本とアメリカは特に保険契約の種類が多く、様々な商品が販売されています。
代表的な例でいうと、自動車保険、火災保険、地震保険、医療保険、生命保険などです。
このような保険契約の場面では、保険会社側は、保険加入者が契約後にどのような行動を取るのかについて、正確な情報を知る立場にありません。
例えば自動車保険でいうと、保険に入ったからこそ、契約成立後に様々な注意を怠るという事も考えられます。
自動車保険に入っているがゆえに「多少事故っても大丈夫」と考える人が一定数いるのです。
そのため、取引後の加入者の行動が予測できないという意味で、加入者と保険会社との間に情報の非対称性が存在しています。
そこで保険会社は、取引後のリスクを軽減するために、通常必要と思われる保険料よりだいぶ高い金額で保険商品を販売します。
情報の非対称性が存在することを前提にして、それに相当するリスクを保険料に乗っけて保険を提供しているわけです。
これは生命保険や医療保険でも同様で、取引後に加入者が何をしでかすかわからないので、事故率、死亡率、経費等を考慮して計算される一般的な保険料よりもかなり高い値段で保険料を設定しています。
このような保険料の設定方法は、真面目に交通ルールを守って自動車を運転している人や健康な人にとっては不利な話です。
そのような制度のままだと誰も保険に入りたいと思わなくなるでしょう。
そこで保険会社は、様々な制度を設けて保険料の適正化を図っています。
自動車保険であれば、契約年数に応じた等級制度(無事故期間が長くなればなるほど保険料が割り引かれる)、及び車種や免許の種類等による細かい価格変更を実施しています。
医療保険や生命保険でも、契約前審査等を細分化または厳格化して、保険料に一定の割引をかける工夫をしています。
例えば、生命保険の一部では、タバコを吸わない人について、医師によるコチニン検査を受けた場合に一定の割引があったり、被保険者の年齢や職業によって保険料を調整する制度があったりします。
これらの工夫は、取引後の情報の非対称性を少しでも緩和しようという工夫でもあります。
賃貸借契約も取引後の情報の非対称性が存在します。
賃貸人(貸す側)は、出来る限り部屋をキレイに使ってくれる優良な賃借人を求めています。
しかし、契約段階で得られる情報だけでは、人間性までは読み取れません。
仮に悪質な賃借人がいたとしても、わざわざ自分から「汚く使います!部屋で毎日飲み会します!」なんて言いませんから、賃貸人は慎重に審査をせざるを得なくなります。
その結果、東京都内を中心に、独身者の入居審査が厳しくなっている現状があります。
賃貸借契約では、取引後の情報の非対称性が大きく、かつ、それを未然に防ぐことも現行法上難しいため、入居審査を厳格化するしか方法がないのです。
これは今後も東京都内で続く現象だろうと思います。
なお、地方では人口が急激に減っていっているため、大家側が入居者を選べる立場ではなくなりつつあります。
その結果、東京都内とは対称的に、入居審査が緩くなっていくことが予想されます。
ということで今回は情報の非対称性について簡単にではありますが事例を交えて解説させていただきました。
情報の非対称性の構造を理解しておけば、取引における交渉を有利に進めることも可能になります。
そのため、知っておいて損はない経済学理論です。
皆様の日常生活でお役に立てば幸いです。
では、また次回の記事でお会いしましょう。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
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内容に応じて担当者がお返事させていただきます。