本連載では、ビジネスで活用できそうな経営学理論や重要なキーワードをご紹介しております。
今回は「モラルハザード」をご紹介します。
モラルハザードとは、取引の当事者間に情報の非対称性が存在する場合(情報格差が存在する場合)に、情報を有する側が自己の利益のために利己的な行動に出ることをいいます。
要するに、情報を多く持っている側が、自分の利益を優先して、当事者間の信頼関係を破壊するような裏切り行為をするということです。
このモラルハザードという現象は、我々の日常でもよく見られる現象です。
例えば、リモートワークでもモラルハザードが発生します。
会社と従業員は雇用契約という契約を締結することで、労働力というサービスの提供に関する取引を行っています。
この場合、従業員側は、自己の勤務状況に関する情報を多く有していますから、従業員側の方が「情報を有する側」です。
この2当事者間の理想的な姿は、従業員が遠隔地でもオフィスに居るときと同等に働き、良いアウトプットを出し続ける状態です。
しかし、リモートワークでは、上司の目も同僚の目もありません。
そのため、従業員側としては、自分の利益を優先した行動に出やすい状況が存在してしまいます。
つまり、給与が固定で支払われるのであれば、上手にサボった方がお得だとなりやすいわけです。
その結果、従業員はリモートワークでサボるようになり、会社側は不十分なアウトプットで今まで通りの報酬を支払うことになります。
これが続くと、会社側がリモートワークの従業員に対して、通常のオフィス勤務の従業員よりも低い報酬を提示するようになったり、評価を厳格に行うようになったりします。
そうすると、リモートワークでも真面目に働いている優秀な人材が他社に転職してしまったり、リモートワークという制度自体が消えてしまったりします。
これがモラルハザードの問題です。
本来であれば双方にとってメリットのある制度なのに、一部の人間の利己的な行動によって、市場そのものが不健全なものになってしまう現象です。
実はモラルハザードという概念自体、学問の世界で若干の混乱が見られます。
「モラルハザード」という単語は、元々は保険業界で使われていた言葉なのですが、保険業界の研究者がいうモラルハザードと経済学者がいうモラルハザードが必ずしも同じ意義ではないのです。
法学などの定義を重視する学問領域では通常考えられないことですが、他の学問領域では論者によって定義が大きくブレるということがよく起こります。
それゆえに学習者を混乱させることになります。
香川大学の安井教授や明治大学の中林教授もその点を指摘しています。
論文を読んでみたい方は以下のリンクからどうぞ。
中林教授の論文は「中林 モラルハザード」で検索すると出てくると思います。
安井敏晃「ハザード概念について―保険論におけるモラル・ハザード及びモラール・ハザードを中心として―」
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsis/2008/603/2008_603_603_147/_article/-char/ja/
以下では、学問上様々論じられているモラルハザードについて、代表的な以下の3つの類型をご説明させていただきます。
まず、モラルハザードの典型例が故意・重過失によるモラルハザードです。
ここでの「モラル」は、英語では“moral(倫理)”と書きます。
つまり、ここでいう「モラルハザード」とは、倫理の崩壊という意味です。
情報を多く有する側が、故意または重過失によって、取引相手との信頼を害する行為を行った場合です。
先程のリモートワークの事例もここに含まれます。
次に、過失によるモラルハザードが上げられます。
ここでの「モラール」は英語で“morale(やる気・士気)”です。
故意・重過失によるモラルハザードの場合はmoralだったので「e」が最後に入って違う意味になっています。
モラールハザードという類型では、やる気・士気の低下によって起こる過失行為をモラルハザードの一類型として認識しているわけです。
この類型の事例は、例えば、業績連動報酬ではない単なる固定給で雇われている人が、一生懸命働くというモチベーションを失ってミスが増えるケースなどが該当します。
ジャッジメントハザードとは、善意かつ忠実に判断を下したけども、結局はその判断が取引の相手方の意図に沿わないものだった場合をいいます。
企業内の事例でいうと、部下が上司の意図を汲んでいると思いこんで行動したけども、上司の意図とはズレてしまっていたケースなどが想定できます。
部下側は上司ほどの知識や経験を有していないことが多いので、思い込みによる判断ミスをしやすいのです。
なお、このジャッジメントハザードという類型を最初に生み出したのは森宮康教授(明治大学)らしいです。
善意に基づく判断もモラルハザードの一類型だと考えたその発想力に脱帽ですね。
最後にモラルハザードに対する対処法を考えてみましょう。
経済学の観点からみると、モラルハザードは、情報の非対称性の存在を前提としています。
ということは、情報の非対称性を無くせば、モラルハザードは起こりにくくなるはずです。
そこで、経済学分野では、以下の2つの対処法が模索されています。
以下、それぞれ説明します。
モニタリングとは、監視体制を構築することを意味します。
代表的な事例でいうと、会社法上の監査役制度があります。
そもそも株主と取締役の関係は「委任契約」という取引関係にあります(会社法330条・民法644条参照)。
そして、通常、株主側は、会社の内部情報を殆ど持っていません。
一方で、取締役らは実際に自分で経営を行っていますから、会社内部の情報を大量に保有しています。
したがって、株主と取締役との間には情報の非対称性が存在し、取締役が「情報を有する側」です。
この状態では、取締役が自身の有する情報を株主にはあえて開示せず、自分たちの利益を優先するような悪いことをする可能性があります。
そこで、取締役たちの行動を監視する人間を置こう!という制度ができあがりました。
それが監査役制度です。
このように、情報を有する側を監視(モニタリング)する制度によって情報の非対称性を緩和し、モラルハザードを未然に防ごうとしているわけです。
ただ、モニタリングには弊害が伴います。
それは「監視されている側の気分を害する」という弊害です。
その結果、監視されている側のモチベーションの低下を招きやすい状況が生まれます。
これは前述したリモートワークの事例でも同様です。
リモートワークでサボらないように監視する制度を設計したり、業績を細かく数値管理する制度(KPI管理)などを導入したりしても、あまり効果が上がらないことが多いです。
どうしても監視される側のモチベーションが下がってしまうからです。
以上より、モニタリングという対処法は、確かにモラルハザードを防ぐことには貢献するのですが、弊害も伴うことが多いといえそうです。
インセンティブという方法は、情報を持っている側と持っていない側が、同じ方向を向けるような制度を作る(同じインセンティブを持てるようにする)という対処法です。
リモートワークの事例で考えてみましょう。
まず、リモートワークの場面では、従業員にはサボる機会(チャンス)が沢山あります。
家の中にSwitch、PS5、マンガ、Netflixに犬や猫などの誘惑がいっぱいあるはず。
それらの誘惑に負けると、人はサボり始めます。
リモートワークでは、むしろサボる方が有利といえます。
なぜなら、サボっても一生懸命働いても、もらえる報酬が同じだからです。
一方で会社側は、従業員にできる限り安い賃金で、真面目に働いてもらいたいと思っています。
経営上、人件費より多くの利益を得なければならない立場にあるからです。
このように、当事者間のインセンティブはほぼ真逆を向いています。
このインセンティブの方向を同じにする方法を考えることが対処法です。
インセンティブを共通にするという方法は、非常に困難な課題ですが、小規模なベンチャー企業では比較的上手く行っている事例を目にします。
それらの会社では、ビジョンやバリューの共有という手段を用いてインセンティブを共通化しています。
つまり、会社側と従業員側で同じ目標を持つという方法です。
この方法ではまず、経営者(会社側)が、自己が目指している理想像をしっかり言語化して従業員に共有し、共感していただくという手順を踏みます。
ここで共感してもらえなかった場合は採用自体を見送ります。
そして、共感してもらえたメンバーだけで組織を構成し、その後も何度も繰り返しビジョンを語り合う場を設けます。
対話している時間に売上が発生することはほとんどないのですが、あえてそういう時間を多く設けて、意志の統一を図っています。
また、経済的利益の共通化も図るために、ストックオプションなどを発行し、従業員に配布したりもします。
これによって、IPOという共通の目標ができるのです。
不思議とそういう活動を真剣に行っている組織では、従業員側がほとんどサボりません。
そういった会社の従業員は、仕事そのものが目的(楽しい状態)となっていて、自発的かつ積極的に働いています。
このような状態を実現できれば、インセンティブの方向が共通しているので、会社も従業員も同じ方向を向いて努力することができます。
ということで今回は、モラルハザードについて解説させていただきました。
相当難しい分野なので、真面目に研究をしようと思うと何百時間もかかる分野です。
この記事が概要を理解するのに少しでも貢献できたら嬉しく思います。
では、また次回の記事でお会いしましょう。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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