企業と従業員との間で知らぬ間に締結されている「心理的な契約」の重要性について、心理学理論に基づいて解説していきます。
本連載では、ビジネスで活用できそうな心理学理論や重要なキーワードをご紹介しております。
今回は組織・産業心理学の分野から「心理的契約」について学んで行きましょう。
法学分野とも関わってくるある種学際的な分野でもあります。
まずは一般的な法学的見地から、契約という行為を見ていきます。
そもそも契約は、法律上双方の合意に基づいて成立します(民法522条)。
より詳しく見ていくために、一旦民法を参照しましょう。
民法第522条
1.契約は、契約の内容を示してその締結を申し入れる意思表示(以下「申込み」という。)に対して相手方が承諾をしたときに成立する。
2.契約の成立には、法令に特別の定めがある場合を除き、書面の作成その他の方式を具備することを要しない。
上記522条1項を見る限り、契約は「契約を申し入れる意思表示」(申込み)と相手方の「承諾」があれば成立します。
しかも、同条第2項によって、書面の作成やその他の方式を必要としないで成立することが明記されています。
したがって、当事者間の「合意」さえ成立すればそれで契約が成立します。
ということは、当事者間の口頭での合意だけですでに契約自体は成立しているといえます。
しかし、法務実務のお話をしますと、口約束だけで成立した契約を立証することは容易ではありません。
録音でもしていればまだ争う余地がありますが、通常は口約束では何ら強制力を持ちません。
そのため、実務上は後々争いにならないように、そして仮に争いになってもしっかりと明文の解釈で決着が着くように、契約書というものを作ります。
これが、法学上の契約の概要です。
では、組織心理学上の論点である「心理的契約」とは何でしょうか。
心理的契約とは、会社と従業員間での雇用契約において明文化されていない部分を意味します。
すなわち、労働契約を構成している就業規則や雇用契約書等で表現されていない労使間の暗黙の合意です。
この概念は1960年代からすでに存在しており、デニス・ルソー教授(Denise Rousseau:カーネギーメロン大学教授)が1989年に正式に論文として発表しました。
なお、英語では “Psychological Contract Theory(PCT)” と呼ばれていて、日本語でいうと心理的契約理論です。
そして心理的契約の例としては、かつて日本に存在していた「終身雇用制度」が挙げられます。
昔から就業規則や雇用契約で「当社は従業員を終身雇用する」という規定を定めている会社はほぼありませんでした。
しかし、日本では長年「会社にはずっと雇用してもらえるもの」という前提理解がありました。
すでにこの神話は崩壊しつつありますが、未だに中高年の従業員の中にはこの心理的契約を信用している人も多いです。
たしかに、戦後しばらく経った頃の高度経済成長期にある日本では、終身雇用という制度は会社と従業員の間で暗黙の了解となっていたと思われます。
そして、日本はかつて、会社と従業員の双方が互いに終身雇用制度を保持するために一生懸命努力していました。
会社はできる限り解雇やリストラを行わないように努力し、従業員も会社に対して忠誠心を持って余程の理由がない限り転職をしませんでした。
しかし、平成以降になって、この終身雇用制度は崩壊しはじめ、令和の現代では非現実的な理想であると考えられていると言って良いでしょう。
そのため、この心理的契約はすでに解除されているようなものです。
このように、心理的契約の内容というものは、時代の変化と共に徐々に変化していくものだと考えることもできます。
そして、時代の変化がより早く、激しくなっている現代では、心理的契約の内容も会社ごとに個性が出て来ています。
その会社の文化や価値観などによって心理的契約の内容は変化するので、自社における心理的契約がどのようなものなのかを一度考えてみると良いかもしれません。
上述のとおり、心理的契約は明文化されていない当事者間の合意です。
この心理的契約に違反があった場合、どのような効果が発生するのでしょうか。
実はこの点についての研究がすでに大量に発表されていて、実証研究も進んでいます。
それぞれの結論に共通しているのは、心理的契約の不履行(会社側が約束を破った場合)は、従業員に対してネガティブな影響を与えるという点です。
例えば
などが発生すると言われています。
ただ、これは言われなくてもわかるくらい当然のことです。
会社と従業員との間で暗黙の了解になっていた合意が破棄されたり、不履行に陥ったりした場合、従業員としては裏切られたと感じるでしょうから、モチベーションが一気に低下します。
その結果、怠業や離職率が向上するのは当然の帰結です。
会社側として心理的契約の恐ろしいところは、双方が心理的契約の内容を認識していなくても成立してしまっているという点です。
従業員側が勝手に期待して、勝手に思い込んでいた内容であっても成立しますし、会社側が勝手に思い込んでいた内容であっても心理的契約が成立してしまいます。
暗黙の了解だからこそ、いつでも成立してしまうし、その内容も曖昧で不明確な部分が多いのです。
そして、心理的契約が勝手に成立してしまう原因は、双方の「期待」にあります。
会社と従業員の契約であっても突き詰めていけばそれは人と人との契約で、しかも明文化されていない心理的な契約なので、そこにはたくさんの「期待」が含まれていて、その期待に片方が応えられなかった場合に「失望」が起こります。
その結果、ネガティブな効果が発生してしまいます。
心理的契約において、会社側・従業員側双方でいえることは、心理的契約の内容をお互いに言葉に出して確かめ合い、正確に理解しておかないといけないということです。
それを怠ると、意図せずに不履行を発生させてしまいます。
では最後に、ベンチャー企業でよく起こる心理的契約の不履行についてお話していこうと思います。
多くのベンチャー企業では、MVVを定めています。
MVVとはミッション・ビジョン・バリューのことです。
このMVVは、会社側から見ると
「MVVに賛同してくれている人がほしい。MVVにマッチした人を高く評価する」
というメッセージが込められています。
一方で、従業員側から見ると
「MVVとして掲げているのだから、自分もMVVに従った行動をしていれば大丈夫だし、会社もMVVに沿った事業活動をしてくれるはず」
という心理的期待を持ちます。
その結果、会社と従業員の間にMVVという価値観に沿った行動を相互に行うという心理的契約が成立し得ます。
しかし、ベンチャー業界の変化は早く、1~2年で事業環境が大きく変化してしまいます。
そうすると、初期の段階で打ち立てたMVVが実態に沿わなくなってきて、徐々に現実と乖離し始めます。
それが数年続くと、MVVが有形無実の状態になり、心理的契約の不履行が発生しやすくなります。
しかも、ベンチャー企業の場合、MVVをイケイケドンドンの拡大期に設定することが多いため、勢いのある時期に打ち立てたMVVが、拡大後の実態と大きくズレやすいです。
また、ベンチャーの勢いが何年も続くことは極めて稀なので、大抵はある程度の規模まで行くと成長が鈍化します。
その結果、MVVはベンチャー的、実態は大手企業的という状態に陥ります。
この時期になると昔からいるメンバーにとっては心理的契約の不履行状態が続く形になりやすいので、徐々にメンバーが抜けていくことになります。
心理的契約の不履行だけが原因で退職をしているわけではありませんが、原因の一部になっていることは確かでしょう。
そのため、MVVというものは、会社のフェーズに合わせて徐々に変化させていくべきものです。
過去の心理的契約をそのまま放置するのではなく、少しずつ改定していって、不履行状態を解消することが重要です。
ということで今回は心理的契約について簡単に解説させていただきました。
この記事がベンチャー経営者の皆様や人事領域で頑張っている皆様のお役に立てば幸いです。
では、また書きます。
WARCで働きたい!WARCで転職支援してほしい!という方がもしいらっしゃれば、以下よりメッセージをお送りください。
内容に応じて担当者がお返事させていただきます。